「北遺族墓参に参加して」―畔田 八恵子
まず、北遺族連絡会の太西さん始め、皆様に感謝です。
連絡を頂いてワクワクしながら出発日を迎えました。皆の心配をよそに、なぜか不安感はない!北京を経て平壌の地を踏んだ時、何と清々しい風と空気。とてもなつかしい気持ちになりました。あぁ、故郷に帰ってきたんだと感無量で、思いっきり深呼吸をしました。この安心感は何?
清津の港に着いた時は、いつも母や兄姉に聞いていた街の様子が変わっていませんでした。ガケの上から眺める景色。兄から家のあった所、兄や姉の勤めていた学校等教えてもらった事、本当に嬉しく、感動で、自分の生まれた地に来られて、感激しました。この地で幸福に親子9人が生活していたのだなぁと。たった1年7ヶ月でバラバラになると、父との別れがあると、誰が思っていたでしょうか?再度訪朝した時は、家の近所を歩ける様にしてあげるという協会の方の言葉を胸に希望を持ち次へと出発しました。
同行の方々の墓地におまいりして、只々、頭をさげるだけですが、69年という年月は大変なもので、私にとって戦争はまだ終わっていないという思いを強く再認識しました。現地の方々の静かな行動、子供たち、風景、終戦後の日本と同じだなという感情を持ち、今の日本はまちがっていると思いました。
咸興に行き、父の眠っている所に行けると思って来たのですが、前日に興南でおまいりとなりました。兄からその説明を受けた時は、身体中の血が逆流してしまった様な、心のバランスを失くしてしまいました。太西さんから言葉をかけて頂き、やっと落ち着きました。過労とストレスという持病を抱えている私には、とても辛い。調査できないという事に、なぜ~なぜ~なぜ~だったのです。パニックですネ!
軍の設備になっているので、日本人墓地に入っていれば動かす事も出来るけど、個人で墓標を立てているのは調査出来ないとの事、協会の方に説明を受け、納得しました。
ここでも、今度来る時はもっとくわしく話が出来る様に調べておくよという言葉を頂きました。
遺骨収容という事を言い続けて来ましたが、何日間か滞在しているうちに、父は、この美しい景色の中で眠っている方が幸福なんだと思う様になりました。私も、出来れば、父の近くに居たいとさえ思いました。現地の方々のていねいな説明や対応に、本当に感謝という言葉しかありません。
子供たちのすばらしい歌と踊りの歓迎、レストランでの歌等、とても良くして頂きました。何をお返ししたら良いのでしょうか?すぐとは言わないけれど、早く遺骨をまとめて、山や畑の地をお返しする事ではないでしょうか?私たちはどうすれば良いのでしょうか?教えて下さい。現地の方にハグされ握手して、あたたかさを実感しました。「どこの国の人かなんて関係ない。私たちは同じ“人間”なんだよ」と言われた時、私はやっぱり、ここの人間なんだと確信しました。
帰国する前日は、ホテルのカラオケで、先生に誘われ、歌を大きな声で、父に届く様に歌ってきました。この訪朝では、すばらしい出逢いもありました。69年間を思いっきり話す事が出来る方に出逢いました。一生の宝です。再度訪朝する事を固く誓い、決心して帰って来る事が出来ました。本当に感謝しています。太西さん、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。感謝、感謝。