墓参訪朝報告―匿名希望
父の生前書き残した手記を元に、父の念願でもあった墓参が実現出来、永い間背負っていた荷がスーッと下りた様な気がします。遺骨の収容は適いませんでしたが、墓参地の小石を遺骨と定め、帰国後すぐ寺で供養し納骨をしました。これも、太西さんはじめ、事務局裏方の並々ならぬ、東奔西走し実現させて頂いた御蔭と感謝しています。
引率の際もいろいろ気配り、手配、配慮と、心底我々遺族会の身になってくださったと、身にしみて感じている次第です。
そして我々墓参団に対し、暖かく受け入れて下さった北朝鮮関係者の方々にも、お礼と感謝を申し上げたいと思います。
出発前は一抹の不安が続き、何度かちゅうちょしました。でも、「百聞は一見にしかず」。先入観とは異なり、撮影の規制もほとんどなく、不安どころか、関係者の方々に親切、丁寧に墓地の様子等を説明していただき、接触した方々にもやさしく対応していただきました。
又、これも私の北のイメージと異なり、街はゴミ一つ見当たらず、思ったより田畑の耕地面積が広々。でも、丘の上までもトウモロコシ畑。洪水ともなれば一挙に土砂となり流れ出すのでは・・・。山には山の役目があるのに・・・と思ったりもして。日本の様に、ビニールハウスや、夏野菜畑は見当たらず、一面のとうもろこしと一部のキャベツ畑。農作業、土木作業は、のんびりと集団で手作業。何かを背負って並木道をトボトボ歩く人々、自転車、老朽化した家並、その他インフラは終戦当時の日本を思い出すようでした。でも、日本の様に、何でも競争、効率、スピード、生産性向上、成果を求める社会ではないので、これでもよいのかなとも思ったりして。
第4回墓参訪朝(6月14日ー6月25日)

又、母と弟が眠る咸興は丘の上から遥か彼方に向かっての参拝となり、せめて近辺まで行って手を合わせたかったし、三日目ごろから下痢を患い、食欲が無く、帰国してからも続き、閉口しました。
水のせいか、すべて食べられないほどご馳走三昧で腹が驚いたのかもしれませんが、余りにも食べる品数が多く、これもおもてなしでしょうが、ぜい沢な気もして・・・。高齢者の現地十泊は体力に自信がないので、もう少し短縮できないものかと思いました。
六月三十日(日曜日)十一時からテレビ朝日の放送を見て、否定的だった家族・親族からも「行って良かった。何よりの供養であった」と言ってもらい、全国からの知人、友人、北朝鮮に住んでおられた方々からも電話を頂き、「本当に良い事をした」との言葉を頂いております。
これからも、現地で見た事はそのままに、いろいろ解決すること、難題もあろうが、このまま遺骨を放置してよいものか。何一つ不安なことは無かったこと、接触した方々の親切さ等々を、感想として話してゆきたいと思っています。
最後に。改めて、太西さんの御蔭と感謝申し上げ、若いから体力には自信があっても、余り無理せず先を急がず、休暇も取り、御自愛下さい。大変お世話になりました。
平成二十五年七月吉日