それでは、墓参訪朝の報告を致します。今回はご遺族11名、事務局太西、マスコミ38名で行ってまいりました。マスコミ38名というのは、今までより10名多い人数で、車を10台連ねての移動となりました。
まず14日に羽田から北京に行き、ビザを申請致します。その日は北京に宿泊し、15日に高麗航空で1時間半から2時間ほどかけて平壌に入りました。そしてその日の夜、宿泊先となる高麗ホテルにてスケジュールの説明を受けました。このとき、詳細な日程について、北朝鮮外務省の方々から教えて頂くのです。
16日、高麗ホテルを出発し、120人乗りのチャーター機でオラン空港まで行き、車に乗って清津に入りました。まずは、古茂山という埋葬地に向かいます。ここはお墓ではなく、遺体が積み重ねられて小高くなっており、その上にとうもろこしが植えてあるという状態です。そこでお参りをし、夜は、天馬山という小高いところにあるホテルに宿泊致しました。
17日は、車で、まず清津から羅先(昔の羅津)まで行きました。羅先にもお墓はあるのですが、今はまだ調査中で行くことが出来ません。ここでは、羅先の幼稚園を訪問し、園児のお遊戯を見させて頂きました。この子供たちですが、一生懸命お遊戯をしている姿が日本の子供と一緒だなぁと感じました。縄跳びをしてくれるのですが、とても上手で、遺族の方々も喜んでおりました。幼稚園の方々も、昔北朝鮮に住んでいた日本人が来たということをとても喜んでくださって、とても良い会となりました。その後、羅先から清津に戻りましたが、山を越えていくので結構ハードでした。
18日は、朝から清津の駅に行き、展望台へと向かいました。清津の街を一望でき、眼下には港も広がる、とても綺麗な小高い丘です。ご遺族の方々も、昔住んでいた場所を指差しながら、懐かしがられておりました。
2013年7月4日 第9回墓参訪朝報告会(東京)

北遺族連絡会事務局長 太西るみ子
その後、昔、羅南に住んでいた方がいるということで、羅南で一時下車をして案内をしてもらいました。そしてオラン空港に戻り、平壌へと戻りました。
19日は平壌の龍山墓地に行きました。ここは墓地です。もともと違う場所にあったものを2回ほど移転し、墓地という形できちんと残して下さっています。山半分は朝鮮の方の墓地、もう半分は日本人の墓地となっています。
その日は午後は、去年オープンした民族公園という場所を、散歩がてら訪れました。20日には清津にだけお墓があるお2人が日本にお帰りになり、私たちは車で元山に出発しました。車で5-6時間かかるので、一日移動となるのですが、夕方に冨坪にお参りに行きました。ここも、日本人収容所の横にご遺体がたくさん埋葬されて小高くなっており、現在はとうもころし畑になっております。夜は咸興のホテルに泊まりました。
21日は、咸興の興南というところのお墓を、午前中いっぱいお参りしました。お昼からは、いろいろなところを訪問いたしました。
ところで、テレビでも「いろいろなところを参観」と報道されていますが、私たちはそこに行くことが目的で行っているのではなく、ご遺族がその辺りの地域に行きたいというご希望を出されているので、ちょうど通り道だったから、あるいはたまたまそこが休憩できる場所であったということで、訪問をしているだけです。しかし、テレビでは、まるでそこに行くのが目的で行っているかのように報道されています。これは誤解です。また、訪朝の度、金日成元主席・金正日総書記の銅像がある場所に伺い、「今回もお邪魔させて頂きます」とご挨拶もしています。これは礼儀だと思っております。
22日には元山を出発し、580ヘクタールもある広大な果実園に行きました。この辺りを通って引き揚げてきたご遺族がいらしたので、寄らせて頂いたという形です。本当に広い果実園で、人力でよくここまでやっているなぁと思うのですが、マスコミでは、快くない内容で流れておりました。このような報道にはいつも疑問を感じます。
残りの2日間は、平壌で飛行機待ちです。毎日飛行機が飛んでいないためです。このときに、北朝鮮の方々が気を遣って、私たちをローラースケート場に連れて行って下さったり、ご遺族の中にサッカー好きな方がいらしたので、たまたま試合があるということで見に行かせて下さったりしました。24日は、サーカスを見に行きました。平壌では本当にやることが無いので、「今回はサーカスを見に行きましょうか」と、私たちを案内して下さった次第です。そして、25日に平壌から北京、羽田へと戻りました。
(この後、訪朝の様子がまとめられた映像を上映)
(参加されたご遺族からの報告スピーチ)
今回は、ご遺族の方々だけでなく、北朝鮮側も、「大成功でしたね」と仰っておりました。これまではそういう感想は述べられず、「お疲れ様でした」と言って別れてくるのですが、今回は「大成功だった」と言って下さいました。
また、今回異例なことがありました。北朝鮮では、市とか町に入る際に、各地の幹部の許可がいるんですね。ですので、すぐにはコースの変更が出来ず、何日も前からお願いして変更をするという形を取らなければなりません。しかし、今回は午前中にお願いして、午後からの予定を全部キャンセルして、ご遺族の行きたいところに連れて行って下さったんです。これは本当にありがたく、一生懸命やって下さっている北朝鮮側には、感謝の気持ちでいっぱいです。
また、ご遺族の方々も、11日間も海外に滞在したのでまだものすごくお疲れだと思うのでが、それでもこうやって報告会でお話をして頂けるというのは、私たちスタッフにとっても励みですし、とても嬉しいことです。
行かれたご遺族はいつも、とても満足して帰られます。こちらから出す67年前の地図と、現在北朝鮮が持っている地図が合わないということが多く、あちらが一生懸命調べてくださっても、詳細が分からないことがあるんです。しかし、ご遺族が直接行かれて、「あそこだ」「ここだ」と言って下さることで、はじめて分かることが多いんですね。そして、向こうの方が「またいらっしゃいね、次はそこに行けるようにまた準備しておきます」と言って下さるわけです。
ですので、ご遺族の皆様には、目的の埋葬地に行けない可能性があっても、ぜひ北朝鮮にもう一度行って、胸のつかえを取っていただけると、私たちもやりがいがあります。そして、帰国後にこうやってお話をしていただけると、私たちはそれだけで満足です。
ところで、今回、日本の外務省から出発前日の夜中の12時に電話を頂き、「渡航自粛の解除をします」と言われました。これまではこちらから電話をして、「行
っていいのでしょうか?」と聞いてはじめて、「渡航自粛解除の処置をします」という返事が来るのですが、今回ははじめてあちらからお電話をして下さって、「気をつけていって来て下さい」と言って下さいました。これもとても嬉しいことでした。
私たちのような目に見えているスタッフは、氷山の一角に過ぎません。たくさんの団体の方、個人の方が協力をして、こういう墓参を続けることが出来ています。中には、自らNGOを立ち上げて寄付活動をして下さっている方もいらっしゃいます。本当にありがたく思っております。一方、マスコミの方は今回ずいぶん悪く言われてます。もちろん、彼らも仕事ですし、いろいろな状況があるのだと思います。しかし、私たちは北遺族連絡会を守っていかないといけないし、墓参を続けなければいけません。行きたいと思って待っていらっしゃる方が、まだたくさんいらっしゃるんです。ですから、マスコミには厳しいことも言いますが、その辺はご理解いただきたく思います。