2013年9月4日
現地調査終了後 記者会見 (※編集を加えています)
水野教授
丸8日かけて、日本人遺骨の墓地・埋葬地の調査を行うことが出来た。チョ先生をはじめとする朝鮮側の方々の非常に大きなご協力によるものであり、感謝したい。
今回の調査については、いくつか大きな意義があった。第一に、今回、これまで確認された埋葬地・墓地に行き、現状を直接目で見ることが出来た。そして、それぞれの埋葬地・墓地について、これまでどのような経過をたどってきたのかを明らかにすることが出来た。一番はっきりしたのは、竜山墓地。この墓地は2度移転を繰り返したが、最初の場所、2回目の場所、現在の場所すべてを訪ねることが出来た。他の埋葬地でも、これまで曖昧だった点について、現場で確認が出来た。日本側の資料や地図と、現地での情報がほぼ一致した。各地で、地元の方の話を直接伺うことが出来たことも大きな収穫だった。
第二に、「埋葬地の可能性がある」場所を、新たにいくつか確認できた。例えば、古茂山については地図と地元の方の話がほぼ一致し、これまでとは違う別の埋葬地があるとことを確認できた。また、三合里の帰りにも、秋乙に関して「この辺りではないか」というところを見ることが出来た。
これらについては、今後朝鮮側の調査に期待をしたい。日本に残っている資料についても、今後引き続き調べる必要があるだろう。この点では、日本政府に大きな責任があるだろうと思っている。日本政府が持っている情報を公開することが必要である。日本人遺骨の問題は、歴史的背景を考えると、朝鮮に対する植民地支配、中国への侵略の結果、犠牲になった日本人の問題である。特に、三合里や古茂山などでは多くの元日本軍の兵士が亡くなっており、これに関しては、日本政府に明確に責任があり、調査をする義務があると考える。
この活動を今後どう継続していくかについてはチョ先生等と相談をしたいが、今後とも情報の交換、共同調査・研究を進めていきたい。
チョ・ヒスン所長
今回、先生方と現地をまわりながら、共同調査の第一歩を踏み出すことが出来た。そのこと自体に大きな意義があったと思う。先生方と問題認識を共有し、諸々の事実関係を確認出来たのは大きな成果だった。この成果を踏まえ、今後とも朝日の学者が手を取り合ってこの問題を解決すべきだと再確認した。70か所にも及ぶ日本人埋葬地・墓地がある以上、今回は最初のスタートを切ったというレベルにすぎない。今後も頑張っていきたい。
庵逧准教授
現地に行くことで、手元にある資料や日本人遺族への聞き取りだけでは分からなかった点について、数多く確認できた。特に、各埋葬地の近辺に住んでいる方、共同墓地の場合は墓守の方に話を聞くことが出来た。この結果、埋葬地の位置だけではなく、その場所が元々どのようなところだったのか、日本人の遺骨が発見された背景などを知ることが出来た。これは大きな収穫だったと思う。
鈴木教授
“生活と墓”ということから考えると、例えば竜山は共同墓地で、ある意味非常に特殊だが、こういったところでも日本人の墓がしっかり残されているということが分かった。同じように、パンヒョンでも、良い場所に作られた、現地の方々の共同墓地に、日本人も埋葬させて頂いていた。このことを知りとても驚いた。
しかし、どの場所にも共通しているのは、戦後70年が経ち、農村の改革や都市化が進み、次々と畑や住宅が作られているということ。その中で世代交代も起きている。社会主義の国では「お墓は三~四代まで引き継ぐ」という考え方があり、子孫が同じ場所を使わない。結果、お墓が荒廃していっているという状況もある。今のタイミングを逃すと、遺骨の収集がますます困難になるだろう。時間との戦いであると感じた。
谷川助教
私は朝鮮半島近現代の都市・建築の歴史の専門なので、今回、植民地時代の都市・建築の残存状況を特に注意して見てきた。「植民地時代の建築」というと、日本人が作ったものと思われがちだが、朝鮮の人々が作ったものもあり、そういうものも含めて注意して見てきた。その結果、国全体で見た際、私の当初の予想よりも多くの建物が、今も残っていたという印象。ただ、都市ごとに差異があり、例えば平壌にはあまり残っていない。興南や元山では、海岸側ではあまり残っていないが、山手には多く残っている。咸興や清津、古茂山にはまだかなり多く残っているように思えた。さらに内陸部には、当時の学校や体育館などの公共建築が割合よく残っていると感じた。また、都市内の丘、小山などの起伏、小さな崖など微地形、人工地形としての港湾等、大型インフラの形状はどこも比較的よく残っていた。
なぜこうした残存状況の話をするかというと、埋葬地の位置の特定作業に際して、過去の痕跡が手掛かりとなる場合が多かったからだ。今回、過去の地図を数種類用意したが、場所の推定作業をするにあたっては、ご遺族の残した地図や回想が大変正確で役に立った。このことをまずご遺族の方にお伝えしたい。
また、とりわけ重要なのは、社会科学院のチョ先生や朝日交流協会の方々、現地の役所や埋葬地周辺にお住いの方々などのご協力や証言が非常に具体的で、調査がスムーズに進んだこと。過去の建築の情報、ご遺族が残した情報、朝鮮側の関係各位の協力、これらがうまくかみ合い、埋葬地の情報を得ることができたと感じている。
以上が全体的な感想だが、補足することがひとつある。私たちが、日本に住んでいる中で忘れてはならないと感じたことでもあるのだが、こちらにも、普通に生活をしている人たちがいる。都市や地域はどんどん成長し、形を変えていっている。平壌などは、朝鮮戦争後の都市発展の中で、埋葬地が埋葬地として、朝鮮の人々によって二度も移送されて今日も残っているというのは、私には大きな驚きだった。こういう人々の営みに敬意を表しながら、この問題が少しでも解決に向かうことを願うばかりである。
-質疑応答-
Q:「約70か所」という数字は日朝双方で一致?
水野教授
71か所というのは厚生省の数字。私はこの数字には疑問がある。一人、二人だけが埋葬されたところもたくさんあり、そういうものを含めると計り知れない数になるからだ。このすべて調査するのは厳しいので、今後は、ある程度の数の人がまとめて埋葬されたところを調査していく。朝鮮側にも、今後の実地調査をお願いしたい。
Q:今後の課題は?
水野教授
いろいろな限界がある。調査団は自費で来た。こういった費用の問題がある。また、我々が入手できる資料が限られているという、情報の問題。日本政府の側に、本格的に調査をしようという気持ちがあるなら、朝鮮政府と話し合い、お金と情報の問題をクリアし、もっと大がかりに調査を進めてもらえればと思う。
チョ所長
水野先生のコメントに同感する。今回やった調査は、あくまで民間レベルであって、調査をするにも制限がある。こちらでも、政府や軍、地元の人たちから全面的な協力が得られない。あちらの方に行きたいのに、何らかの理由で行けない、ということが多々ある。このような細々としたやり方では、進展が遅い。
Q:具体的に厚労省、赤十字などに話に行く予定は?
水野教授
今のところ個人的には予定はない。遺族連絡会からの依頼によって現地調査に来たので、連絡会の方で必要だということになれば、行くだろう。
Q:調査を報告書にまとめたりする予定は?
水野教授
具体的なことは今後考えるが、何らかの形で記録に残しておく必要があると思う。
チョ所長
研究所として、今後とも調査を続けたい。また、調査した内容を、整理して文書に残したい。できうる限り、水野先生をはじめとする日本人研究者との共同調査という形で行いたい。シシンポジウムの開催、共同著作の本や報告書の出版、ということもあり得るのではないか。
Q:現実問題として、すべてのご遺骨をご遺族に返すというのは難しいと考える。朝鮮側として、最終的にどうしようと考えているか?
チョ所長
このまま人間の遺骨を放っておくことは出来ない。人道上理不尽であり、なんとかしなければならない。例えば、私の個人的考えだが、多くの埋葬地・墓地が平壌から遠く、訪問するだけでも大変なので、これらの遺骨を平壌に移送し、日本人墓地として慰霊塔などを作るのもありえるのではないか。ただ、こういったことは今後日本側と協議をしながら決めていくべきこと。
水野教授
この問題は、ご遺族の意向を優先すべきだと私は考える。ただ、ご遺族といってもご高齢で、数も少なくなっている。ご遺族の意向がこうだとなっても、実現するには困難が伴う。そういうことについて、私たちなりに支援をしたい。日本政府も協力して援助する必要があるだろう。
チョ所長
私も同感です。
以上
