竜山墓地に埋葬されているのは、1945年末~46年初に平壌市内で亡くなった日本人の民間人で、その数は2421名とも3268名とも言われている。埋葬者名簿も残るが、北朝鮮の開発事情により2度に渡って移転されている。現在の墓地は山の南側に面し、日当たりもいいため、農業用に利用したいという現地の声もある。しかし、日本人が眠っているということで、手をつけずに残して下さっている。
【現地調査】
調査団が北朝鮮入りした翌日、平壌郊外の竜山墓地を訪問。調査団側の希望に添い、最初に墓地があった場所、1回目の移転先、2回目の移転先(現在地)の計3箇所すべてに案内をしてもらうことが出来た。
<最初の竜山墓地>
北に向かって(↓写真)右側がかつての朝鮮人墓地、谷のはざまより左側に日本人墓地があった。しかし、変電所が入ることになり、1957年、最初の移転先に移送される。墓地が作られた当初は慰霊碑があったが、今は見つからない。
竜山墓地(2度移転)






元々竜山墓地があったところ(正面の山)
<2度目の移転先:現在地>
山の南側斜面一帯に埋葬。あちこちに朝鮮式の盛土(↓写真右)。隣の山には朝鮮人の墓があるが、白い墓石が建ち、綺麗に手入れされているのが一目で分かる(↓写真左)。一方の日本人墓地は、雑草が伸び放題となり、荒れている。朝鮮側のスタッフ曰く、秋~冬はこの草もなくなり、盛土が碁盤の眼のように山一帯に並んでいるのが分かるという。盛土の数は500程度。1箇所に4-5名分の遺骨が埋葬されていると思われる。埋葬地を訪れるたびに黙祷を捧げる調査団だが、ここでは、水野教授が同行していたマスコミに対しても黙祷するよう求める。
<1度目の移転先>
最初に移転された一帯(↓写真右側の松林一帯)。しかし、1971~1972年にかけて、国の指示によりこの地域にあるすべての墓地を動かすこととなり、日本人の遺骨も現在の場所に移送される。