
訪朝記「亡父との約束」――木村繁
父との約束
私は今回、弟の幸弘と二人、朝鮮民主主義人民共和国清津市に眠る父の墓参に行ってきました。戦後六七年の現在、ようやく長年の願いである父との約束を果たす事ができました。関係機関のいろいろな方のご苦労によって実現できたのです。本当に有り難う御座いました。共和国に渡り八箇所のそれぞれの肉親の墓地に赴き、当時の悲惨な状況の中で、遂に日本の地を踏むことなく非業の最期を遂げられた方々に心より哀悼の意を込めてしっかりと両手を合わせてお参りしてまいりました。
父の涙
父は引揚げる一ヶ月ほど前に病名不明のまま、今は亡き母と二人の妹そして私と末っ子の弟幸弘の計五人を残して旅立ってしまったのです。亡くなる直前に父の目頭には涙が一杯あった事を今でも忘れません。母をはじめ子供たちを残してゆく辛さか寂しさか、きっと悲憤の涙だったと思います。あの日から早六七年の時が流れ去りました。あのむごい戦争さえなかったら、と何十年たっても悔やまれてなりません。今は二人の兄と二人の妹を亡くしましたが、弟の孝英と幸弘そして私は、それぞれの家庭を持ち、孫も何人もいます。
父の魂
私は、父の本籍だった小浜町富津の父が眠るお墓の中に清津の山の小石を父の魂として持ち帰りました。今日、皆さんの見ている中でこの石を墓石の中に、静かに入れさせていただきました。母をはじめ兄貴や妹たちと肉親の再会が、目には見えないが、数十年ぶりに実現できました。みんなできっと手を取り合って喜んでいることでしょう。 弟の幸弘に力を貸してもらいながらの墓参行事も無事に終わり、今日の日を迎えることができました。
日朝の架け橋に
今回の訪朝墓参実現のためにご尽力を下さった日朝両国の外務省および赤十字社、そして朝鮮民主主義人民共和国の朝日友好協会の方々、旅行社の皆さん、地元の方々等々、多くの人びとに心より感謝の念を禁じえません。何人かの共和国の人と通訳の方を交えてお話をしましたが、肉親の墓参ということに対し、心より感動されていました。さらに共和国の皆さんは、私たち墓参団に対して、思いやりと優しさで心から尽くしてくださいました。国名は違っても言葉が違っても人間の心と心の間には国境はないんだということを知りました。両国の間にはむつかしい問題が山積しております。しかし、相互扶助の精神で一日も早く国交が実現し、自由に往来できる日が来ることを願うばかりです。
おわりに
自分たち兄弟が生まれ育った家の所に立ったときは、幼い頃の家族団欒の暮らしぶりが走馬灯のように頭の中をめぐったのです。なにもかもが懐かしさで、一瞬は夢を見ているような錯覚に陥りました。八一歳の自分と七一歳の弟が、父親のお墓参りができたことは、本当に良かったと無常の喜びでした。関係各機関の皆さん、清津会の皆さん、北遺族連絡会の方々のご苦労に深謝いたします。真にありがとうございました。貴会の益々のご発展をお祈りして終わります。
二五年一月
[追記]
墓参訪朝について語る木村繁さんと木村幸弘さん
(『長崎新聞』2013年2月3日[日]付)