墓参訪朝の記録―安井 恵美子
安井恵美子 咸鏡南道 永興面 松興里 出身
物故者 「母」 (当時38才)
今回の墓参日程は、6月25日~7月5日までの11日間。参加者は9名。私は、愛知県から、同県に住んでいる81歳の姉と参加。
(1日目) 6月25日(水)
羽田空港近くのホテルに泊まった8名は、昨夜のうちに顔合わせもすませてあったので、朝、揃って集合場所へ。お1人、他のホテルに泊まられたWさんは、すでに来ておられた。報道関係者の人数の多さに驚いた。出発前に全員揃ってのインタビューがあり、石原さんが代表で出発のあいさつをして下さった。
9:00 羽田ー北京へ
北京ホテル泊
(2日目) 6月26日(木)
14:00 北京―平壌へ(高麗航空)
17:00 ついに共和国入り
空港で共同インタビュー。今回も石原さんが代表で、平壌に降り立った皆様の気持ちを代弁して下さった。
専用バスでホテルへ。
夜、朝日交流協会の趙さんから、共和国滞在中の日程の説明があった。
平壌高麗ホテル泊
(3日目) 6月27日(金)
今日からいよいよ墓参が始まる。早朝、国内チャーター機で清津オラン空港へ向かう予定だったが、清津が濃霧のため、昼ごろ出発。ガタガタ道を専用車で古茂山へ。細い畑道を登った線路の近くの場所で、Wさんのお兄様の供養をした。幼い頃にお兄様に抱かれた時の肌のぬくもりが忘れられないというWさんの、涙ながらのお参りだった。
山を下り、またガタガタ道を走って海辺のホテルへ。オンドル部屋。バスルームのお湯が出なかったので、今日はお風呂は休み。お料理がとてもおいしかった。
清津チョンマサン旅館泊
(4日目) 6月28日(土)
石原さんのお父様の墓参。石段を登った畑の中に大きな墓石の土台が残っていた。石原さんはその周囲のこともしっかり記憶に残っているようだった。小高い丘から畑や民家を見下ろしながら、「ふるさと」をみんなで歌った。涙で途中から歌えなくなった。
再びオラン空港に戻り、チャーター機で平壌へ。
平壌高麗ホテル泊
(5日目) 6月29日(日)
平壌竜山墓地へ。ここは3つの山が全部墓地という、大規模な墓地。草をかき分けて登って行ったところに日本人のお墓があり、そこでGさんのお母様の供養をした。Gさんは家族全員亡くされて、お一人残ったと聞いている。現地の人のお墓には墓標があるが、日本人のお墓には墓標がない。
平壌市内の冷麺のお店「玉流館」で冷麺を食べた。大きな器いっぱいの冷麺。量の多さにびっくり。現地の人はこれを2杯食べるのが普通だそうだ。今日誕生日を迎えられたWさんに、朝日交流協会のホさんからケーキのプレゼントがあり、みんなでお祝いをした。
平壌高麗ホテル泊
(6日目) 6月30日(月)
今日は咸興へ移動の日。咸興は母が亡くなった街である。姉は興奮して眠れなかったそうだ。咸興まではバスで5-6時間かかるという。道も悪いので、酔い止めの薬を飲み、首に空気まくらをし、バスの座席には空気座ブトンを敷いて出発。途中道路事情のため道を変更。咸興の副知事さんが、出来立てのサンドイッチを差し入れて下さった。
興南のホテルに到着。ホテルは、静かで美しい砂原と青い海を前に建っている。夕方、姉と目の前に陸続きで浮かぶ小島まで散策。
興南ホテル泊
(7日目) 7月1日(火)
9:00 ホテル出発。咸興へ。
Iさん、Nさん兄妹のおばあさまの供養をした。お墓までは行けず、墓地を遠くに見ながらのお参りだった。Iさんは1946年2月におばあさまのご遺体をお墓まで運んだが、土が凍っていて盛り土が出来なかった。そのことが頭からはなれなかったそうだ。「おばあちゃん、土きてますか」という自作の詩の朗読が胸にしみた。とても良い詩だった。
次は咸興市の中央町。Mさんのお父様が勤めていた警察署のあった場所へ行った。咸興駅が真正面に見える目抜き通りだった。Mさんは今回の訪問団の中で一番若い方である。思い出を持つお母さまと来たかったことだろう。
次はいよいよ、私の母が亡くなった咸興市内大和町。物産倉庫と呼ばれていた木造2階建ての倉庫で難民生活をしている時、母は亡くなった。残された私たち子供4人はその後孤児院に入ったので、4か月しか住んでいない大和町には、姉も私も何も思い出す風景はなかった。
私たちはここでお参りすることになった。日本から持ってきた写真や本やお花を街路樹の根元に飾り、線香を立て、般若心経をあげた。うしろで石原さんも和唱して下さった。姉はその夜、68年間のいろいろな思いがこみあげてきて、一睡もせず泣き明かしたといっていた。
興南ホテル泊
(8日目) 7月2日(水)
今日は今回最後の墓参。
三角山と言われていた墓地。小高い山を登って行くと、とうもろこしや豆の畑の横に、こんもり盛られたお墓があった。ここで、お父様を亡くされたTさんと、3才の弟さんを亡くされたMさんの供養をした。Tさんは、「お父さん、もう一度会いたい!」といって泣きくずれられた。
9名の1人1人が68年間のたくさんの思いを込めた墓参は、これですべて終わった。
午後は、バスで元山へ移動。
元山ムンミョン旅館泊
(9日目) 7月3日(木)
9:00 平壌へ向けて出発(約3時間半)
今日は樹木伐採の日だったのか、道路の両側の木の伐採風景が、平壌市内に入るまで延々と続いた。1度は大木が倒れる直前の場面に出会い、バスが止められた。道路に横倒しになった大木は、30-40人ほどの人がノコギリ、オノ、ナタで運べる長さに切り、大八車のような車に積んで次々と運ばれ、15分程でバスが通れるようになった。
今日は先日のWさんに続いて、Tさん誕生日。また大きなケーキがプレゼントされ、みんなでお祝いした。
平壌高麗ホテル泊
(10日目) 7月4日(金)
平壌滞在
平壌高麗ホテル泊
(11日目) 7月5日(土)
とうとう日本へ帰る日が来た。
早朝にもかかわらず、朝日交流協会の趙さんもホさんも、通訳のリョさんも来て下さった。一度もお声を聞かなかったが、バスの運転手さんも、毎日黙々と安全運転で私たちを運んで下さった。
皆さま、ほんとうにお世話になりました。共和国の方々は、私たちを大変温かく迎え入れて下さいました。そのおかげで、私たちは何の不安も不便も感じることなく、穏やかな気持ちで悲願の墓参を終えることができました。行けない国、近いのに遠い国と思っていた私の生まれ故郷、朝鮮。亡母が眠る朝鮮が、いっぺんに近い国になりました。関係者の皆さま、ほんとうにありがとうございました。
7:40 ホテル発
9:00 平壌空港ー北京へ(高麗航空)
北京空港で昼食を食べながら、一人ずつ感想を話してお別れ会をした。
16:40 北京空港ー成田へ
21:10 羽田着。全員元気。解散。